白山町会について

白山町会は、白山坂(薬師坂)を挟んで、中腹から東西に広がる地に位置し、往時より東側の八百屋お七の墓のある円乗寺、西側の浄土宗心光寺の門前町として発展してきた。町内に都営三田線の白山駅があり、朝夕の通勤通学時には文字通りのラッシュとなり、町会は小なりといえども内容は豊富で、町内の繁栄も白山下唯一のものと自負している。

町会の年間行事としては、町民をあげての新年初詣から始まり、成人の日。新入学児童には祝い品を贈り、小学生以下には五月の節句にも祝い品を贈呈している。年二回の町会のレクリエーション。敬老祝い。春秋の交通安全運動。防犯防火運動。歳末の夜警には特に力を入れ、各種募金活動等、町をあげての行事協力は、地域の他町会との連携を保ちながらも、ひと味違った努力を積んでいる。白山下の繁栄は、白山町会からと町民一丸となって邁進している。

文京区町会連合会創立60周年記念誌「六十年のあゆみ」(2014年11月発行)より


当白山町会は、元々指ケ谷町会の一部でしたが、「東部指ケ谷町会」として独立致しました。その後住居表示変更で町名が指ケ谷町から白山に変わったことに伴い町会名も「白山町会」に改名して現在に至ります。独立当初は山車と子供神輿しかありませんでしたが、多くの町会員やその家族が参加して賑々しく祭りを楽しみ盛り上がっておりました。経年と共に子供神輿が老朽し飾るだけになってしまった頃に「青年の会」が発足され、町会の各行事に協力する中で連帯感が深まり祭りの時に大人神輿を担ぎたいとの思いが募りました。最初は神社にお願いをして蔵の中から使用していない神輿を特別に借り受け六つの町会合同で(虫干しということで)渡御をしていました。その内にやはり自分達の神輿が欲しい大人神輿を作りたいという機運が高まっていく中、趣味で神輿を製作されていた方との出会いが現実感を膨らませ、有志から始まった資金の積立や製作のお手伝いが町会全体に広がりその方のご助力も受けて木製部の本体が出来上がり、その後金物化粧を専門業者に委託してついに立派な大人神輿が完成しました。それ以来毎年祭りで近隣町会の若者たちと協力をして神輿の渡御を敢行して参りました。更に他の町会でも大人神輿が次々と作られて行き現在では多数の町会で町内大人神輿の渡御が行われるようになり、勇壮な連合渡御も行えるなど白山神社の祭礼が大変盛り上がっております。

我が町会は小規模町会ではありますが、独立してからも夏には海水浴・秋川渓谷や名栗渓谷での川遊び・ラジオ体操、冬には餅つき大会などの行事を行っておりました。時代の変化と共に参加する子供の数が減少し行事の縮小もございましたが、数年前より少しずつでも復活させようという意欲に燃え徐々に新しい試みを始めております。


白山神社奉賛青年会創立30周年記念紙面より